日本のブログ文化と、Substackのちょっとした“ズレ”の話
「日記を書く文化」と「ニュースレターを届ける文化」
最近、日本でのSubstackユーザーが増えていると聞いた。Xからの退避先だろうか。海外ではすでに、ジャーナリストや作家が大手メディアを離れてニュースレターを収益化する流れが広がり、Substackはひとつの大きな存在になっている。海外では、Substack上で個人が収益を得る動きが広がり、クリエイターエコノミーの一角として“Substackエコノミー”と呼ばれることもある。
一方で、日本では少し違う広がり方をしているように見える。自分は2020年11月からSubstackで始めていますが、長いあいだ「これは日本でどこまで定着するんだろう」と半信半疑のまま使ってきた。
自分の利用経験も交えながら、Substackはなぜ日本で定着しにくかったのか、それでも今なぜ話題になり始めているのかを整理してみる。
Substackは“ブログ”というより“個人ジャーナリズム”
まず前提として、Substackはアメリカ発のニュースレタープラットフォームである。もともとは、ジャーナリストや作家が出版社や広告に依存せず、読者から直接購読料を受け取れるようにする文脈で広がってきた。
海外で目立ったのも、政治・経済・テック・カルチャーといった分野で、大手メディアを離れた書き手がSubstackに移り、独立した“個人メディア”として成功した事例であった。Substackの原型は、日本でよくある日記ブログというより、新聞のコラムや雑誌の連載に近い空気を持っている。
日本のブログ文化とのズレ
日本の個人発信は、Amebaブログやはてな、WordPressのような「まずは書いて公開する場所」が長く土台にあって、その流れの先にnoteがうまくはまった感じがある。
noteは、無料で書けて、気に入ったら有料にもできて、検索やおすすめ経由でまだ知らない人にも届く。そういう「広場」としての性格が、日本のブログ文化や読み方にかなり合っていた。
一方でSubstackは、登録してくれた読者にメールで直接届けることが中心である。不特定多数に向けて開かれたブログというより、「読みたい人が自分から登録して読みに来るメディア」という感じだ。
自分が2020年に使い始めたときも、これは日本のブログの延長というより「メルマガとコラムのあいだ」にあるサービスだなという印象があった。ここが、日本で広がるまでに時間がかかった大きな理由のひとつだった気がする。
英語UIと決済のハードル
文化的な相性だけじゃなくて、もっと実務的な壁もあった。やはり大きいのは、英語UIと決済まわりの分かりにくさである。
Substackは管理画面や案内が英語中心で、日本語のローカライズも限定的であった。サービスそのものはシンプルでも、「ここを押して登録して、ここで購読して」と読者に説明する時点で、どうしてもひと手間増える。
有料購読の仕組みもStripeベースで、ドル建ての印象が強く、日本語で自然に課金する感覚とは少しズレがある。日本のユーザーにとっては、内容以前に「なんだか難しそう」と感じやすかったはずである。
その点、noteは最初から完全に日本語で、日本の決済や読者の感覚に合わせて設計されていた。後発であっても、日本の市場にはむしろnoteのほうが自然にフィットしていた、という感覚はかなり強い。
2020年11月に始めてみたけども
実際に初めてみないと分からないと思い、2020年11月にSubstackを始めた。コンセプトとしては、ポッドキャストで話したことの裏話や、関連する音楽、リンクなどをまとめて、あとからゆっくり味わえる場所にしたいと思っていた。
ただ、正直に言うと、更新はここ数年かなり滞りがちである。理由としては、日本語圏では反応が薄くて手応えを感じづらかったことと、自分自身がテキストより音声のほうが圧倒的に向いていることが大きい。
ポッドキャストでは長くしゃべれても、同じ熱量をテキストにまとめようとすると急に腰が重くなる。しかもSubstackは、自分の中で「ちゃんと書く場所」という意識が強くなりやすくて、気軽に更新しにくいところもあった。
だから、Substackそのものが嫌いになったわけではまったくなくて、むしろ好きなのだが、更新ができていない中で、日本での状況が変わってきたようだ。
日本で話題になり始めている理由
それでも、ここ1〜2年で日本でもSubstackの名前を聞く機会は明らかに増えた。
ひとつは、海外での成功事例が十分に積み上がってきたことだろう。有料購読者が大きく増え、「ニュースレターが仕事になる」というイメージが、日本語でもようやく共有され始めた。
もうひとつは、XやInstagramのアルゴリズム疲れが考えられる。広告やバズ狙い、AI生成コンテンツが増える中で、「ちゃんと届く場所」「自分で選んだ相手の文章を読む場所」として、メールニュースレターの価値が見直されているように感じる。
さらに今年になって、日本のクリエイターや発信者のあいだでSubstack開設の流れが目立ち始めた。日本初のSubstack専門導入支援をうたう企業まで登場していて、単なる一時的な話題ではなく、周辺の支援市場も動き始めているようである。
たぶん日本での“流行り始め”には、ひとつの大きな事件があったというより、いくつかの要因が重なっている。海外での成功例、SNS疲れ、AI時代のノイズ、そして日本の発信者たちの口コミ。このあたりがそろって、ようやく「Substackって日本でもありかもしれない」と思える空気が出てきたんじゃないかと思う。
noteという“日本の解”と、Substackという別の選択肢
あらためて考えると、noteは日本のブログ文化に対する、とても自然な答えだったんだと思う。日本語で書けて、日本語で読めて、決済も分かりやすくて、知らない人にも届きやすい。
それに対してSubstackは、もっと濃い読者との関係を前提にしたサービスである。誰にでも広く読まれるより、「読みたい人が登録して、継続して読みに来る」ことに価値がある。
だから、noteとSubstackは単純な勝ち負けではなくて、実は別の役割を持っている気がする。ライトな日記や広く開かれた発信はブログやnote、もう少し濃い話や裏話、静かに届けたい文章はSubstack。そんな住み分けが、ようやく日本でも見えてきたのかもしれない。
AI時代のノイズの中で
今は、AIによって文章そのものはいくらでも量産できる時代である。だからこそ、「何が書いてあるか」だけではなくて、「誰が書いているのか」「なぜこの人の言葉を読みたいのか」が、前よりずっと大事になってきている気がする。
Substackは、その意味ではかなり時代に合っているサービスである。アルゴリズムに流されるタイムラインではなく、自分で選んだ相手の文章がメールで届く。ノイズの多い場所から少し離れて、落ち着いて読むための場所としては、むしろ今のほうが向いているのかもしれない。
自分自身はテキストより音声のほうが向いていると思っているが、それでもポッドキャストのまわりに、こういう静かな読み物の場があるのは悪くないと思っている。
自分も頻繁には更新できていないものの、そういう場所として細く長く持っていたい気持ちはある。
おわりに
Substackは、日本では少し早すぎたのかもしれない。ブログ文化の強さ、日本語UIの不在、決済の分かりにくさ、そういういくつもの小さな壁があって、すぐには広がらなかった。
でも今は、SNSの疲れやAI時代のノイズを背景にして、ようやく日本でも「こういう場所が必要かもしれない」と思われ始めているように見える。
自分は2020年11月からSubstackを使ってきましたが、うまく活用しきれているとは言えない。それでも、ブログともSNSとも少し違う、この距離感はやっぱり面白い。日本のブログ文化の次に何が来るのか、その候補のひとつとして、これからも気にはなり続けるサービスである。
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「もう少し濃い話や裏話、静かに届けたい文章はSubstack」——この住み分けの一文に、ずっと言葉にできなかった感覚をほどいてもらいました。
日本のブログが『広場』として自由だったのは、読まれる前提がなかったからこそで。Substackは逆に、書く前に一度『誰に届けるか』を通らされる。背筋は伸びるぶん、独り言の体温は少し下がる気もしていました。
自分はテキスト側ですが、佐藤さんが『音声のほうが向いている』と書かれていたのが逆に印象に残って。話せることを無理にテキストへ畳み直さずに置いておける距離感は、Substackだと作れるものなのでしょうか。